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     - ゆきうさぎ  【南天】 -


 石川啄木は歌人としてよりも詩人として好きである。
酒の席でそう語ったら、隣の青年が僕もそう思いますと力強く同意してくれた。
 演劇的な、流れのある詩が素敵である、僕が一番好きなのは『心の姿の研究』の「柳の葉」と「夏の街の恐怖」だと青年は語った。酒が入っていて、語気も荒い。それだけ真剣なのだろう。
 せっかくだから、「柳の葉」の詩を掲載してみようと思う。私も大好きな詩だ。

  電車の窓から入つて来て、
  膝にとまつた柳の葉――

  此処にも凋落がある。
  然り。この女も
  定まつた路を歩いて来たのだ――

  旅鞄を膝に載せて、
  やつれた、悲しげな、しかし艶かしい、
  居睡を初める隣席の女。
  お前はこれから何処へ行く?

「啄木と言えば」
 語気を幾分緩めて、青年は言った。
「先日、友人から南天を頂きまして」
 へえ、と私は唸った。
「『あゝほんとに』の南天ですか」
「ええ、『あゝほんとに』の南天です」
 嬉しそうに青年は繰り返した。
 『あゝほんとに』もまた、啄木の詩のひとつである。
 青年が、それを吟じた。

  夜店で買つて来た南天の鉢に、 
  水をやらずに置いたら、
  間もなく枯れてしまつた。
 
  棄てようと思つて、
  鉢から抜いてみると、
  根までから/\乾せてゐた。

 「根まで乾せるとは――」
  その時思つたことが
  妙に心に残つてゐる。―― 
  あゝほんとに 
  根まで乾せるとは――

 不思議な感触の詩だ。青年は微笑した。
「南天にはひとつ、思い出がありましてね」
 酒の入ったグラスを傾けながら、青年が言った。
 彼がまだ、小学生の頃である。
 彼の生家では、正月になると玄関先に南天を飾った。ちょうど南天が赤い小さな実をつける時期で、母親がその赤を好んでいたのだそうだ。
 年明けの四日ほどであったか、同じ学級の女の子が突然彼の家を訪ねてきた。南天の実と葉を二枚ずつ欲しいという。
 彼は、それを快く承諾した。
 ちょうど彼の両親は出掛けていた。数枚ならばれないだろうと思って、実と葉を適当にむしって渡した。
「二枚でよかったのに」
 と女の子は笑った。吐く息が白い。
「何に使うの?」
 彼は訊ねた。
「雪で兎を作ってね、これを目と耳にするの」
 笑顔で女の子が答えた。
 ありがとう、と彼にお礼を言った。そうして女の子は公園のほうへ駆けだしたが、途中で思い出したかのように振り向いて、彼に、一緒に来る? と訊いた。
「それで、僕、親に留守を任されてたのに飛び出しちゃいましてね。後で父親に拳骨もらいましたよ」
 青年がグラスのなかの酒をくい、と呷った。
「思えば、それが僕の初恋だったかなあ」
 そう言った青年の頬は、微かに赤みを帯びていた。酒のせいというだけでは、あるまい。




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