- ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() - みずのそこ 【雪代山女】 - |
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数年前から、友人の勧めでこの時期になると近くの渓流に皆で竿を出しに行くことにしている。 まだ、にわかに雪の残る冷たい渓で狙うのは、なんといっても山女魚である。 この時期の山女魚は特に雪代山女魚と呼ばれていて、味は初夏に釣れる『渓水の涼風肌を慰める至味』の山女魚に劣るとも、とにかく量が釣れて引きも良い。釣り人にはなかなか願ったりの魚である。 この魚については戦後の雑文家、佐藤垢石の著作が詳しい。 『早春、崖の南側の陽だまりに、蕗の薹が立つ頃になると、渓間の佳饌山女魚は、俄に食趣をそそるのである。その濃淡な味感を想うとき、嗜欲の情そぞろに起こって、我が肉虜おのずから肥ゆるを覚えるのである。けれど、この清冷肌に徹する流水に泳ぐ山女魚の鮮脂を賞喫する道楽は、深渓を探る釣り人にばかり恵まれた奢りであろう。水際の猫楊の花が鵞毛のように水上を飛ぶ風景と、端麗神姫に似た山女魚の姿を眼に描けば、耽味の奢り舌に蘇りきたるを禁じ得ないのである。 青銀色の、鱗の底から光る薄墨ぼかしの紫は、瓔珞の面に浮く艶やかに受ける印象と同じだ。魚体の両側に正しく並んだ十三個ずつの小判型した濃紺の斑点は、渓流の美姫への贈物として、水の精から頂戴した心尽くしの麗装に違いない。しかも藍色の背肌に、朱玉をちりばめしにも似て点在する小さく丸い紅のまだらは、ひとしお山女魚の姿容を飾っている。黒く大きい、くるくるとした眼、滑らかに丸い頭、あらゆる淡水魚のうち、山女魚ほどの身だしなみは、他に類を求め得られまいと思う。』 佐藤垢石「雪代山女魚」 私も、この魚にはひとつ思い出がある。 雑誌社に勤めていたときに、取材で湖底に沈んだ村に行くことがあった。 今はなき村の景色を写した写真とともに、いくつかのエッセイを載せて特集を組もうという企画である。 同行したカメラマンは、まだ若い青年であった。 春の、風の気持ちよい日であった。 村への道すがら、所々に残り雪の間から顔を出した蕗の薹が風に揺られているのが見える。 柔らかな土の地面の隙間を縫うように、雪解け水の細い道ができている。 緑色の草木が、葉の手のひらに一粒の朝露をたたえて、陽光に照らされてきらきらと光っている。 「こういう日は」 前を歩いていたカメラマンの青年が言った。 「釣りがしたくなりますね」 こちらを向いて、微笑した。 そうですね、と私は頷いた。 「今の時期、山女魚釣りがいいですよ」 しっかりと土を踏みしめながら、青年は続けた。 「今から行く湖は、実はちょっとした穴場なんです」 「穴場?」 私は聞き返した。 「ええ、山女魚釣りの」 そう言って、青年は唐突に一つの句を諳んじた。 雪代山女 湖底の村の 上泳ぐ 「宮津昭彦という人の句です。僕はこの句が好きでね」 言って、青年はまた笑った。 青年がその村の出身だと知ったのは、それからしばらくしてのことだ。 特集には、青年の撮った写真が余すところなく使われた。そのなかから、私はお気に入りだと言って一枚コピーを頂いた。 湖の水面を撮った写真で、湖底に沈んだ青い瓦屋根の上を、すう、と優雅に雪代山女魚の一匹が泳いでいる一枚である。 湖底をのぞき込みながら、青年は何を思いこの写真を撮ったのであろう。 句を諳んじていた青年のはかなげな笑顔は、いまでも私の記憶に残っている。 --------------------------------------------------------------------- |