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     - 金木犀の後悔 -


      □
「あの木の葉が全部落ちたとき、私は死ぬの」
 彼女は言った。勿論、そんなことはあり得ない。しかし、彼女の容態が日に日に悪化しているのも事実だった。肌に艶はなくなり、髪の毛もぼさぼさ。僕が初めて会ったときとはすっかり別人になってしまっている。けど、僕は会うのをやめない。どんな姿になろうとも、彼女は彼女であることには変わりないから。
「もうすぐ冬ね。雪、見れるかな」
 寂しげに呟く彼女を見て、決めた。
 葉っぱが落ちたら死んでしまう少女。僕は彼女を、
      □

      ■
 切り取られた新聞記事を眺めながら、溜息を吐いた。
 十年前、あたしが八歳のときのお話。
 十一月の初めのこと。同じ町のとある病院で、一本の金木犀の木が炎上するという事件があった。今見ているのはそんな記事。だれか怪我人が出たとかそんな話もない、関係者くらいでなければ覚えてないほどの些細なものだ。
 いきなり投げ渡された封筒の中にはこんな記事の他に、当時の入院患者の名簿とか当時の周辺のことだとか、いつもの如く一体どこから仕入れてきたのかというような資料ばかりが詰め込まれていた。
 休日に呼び出した挙げ句、資料を投げつけてきた張本人はデスクに座ってコーヒーを啜っているだけで、一言も話しやしない。
「やい暇人。あたしはこう見えても忙しいの。コーヒー飲んでる暇があるんなら自分でやりなさいよ」
 商談用のテーブルに資料を叩きつけてやる。こんなことで貴重な休日を無駄にしたくはない。
「あのさ、なんか言ったら?」
 何をしても動じない黒ずくめの男に、いい加減腹が立つ。
 うん、決めた。帰ろう。荷物を勢いだけでかっさらい、ドアノブに手を掛けたところで、
「硝子」
 男がようやく口を開いた。しかし、発した言葉がよりにもよって、
「窓硝子、まだ弁償してないんだろ。少しでも働いてチャラにしないと」
 脅迫。けど、反論する余地はない。あたしは完全に弱みを握られている。だから精々、喚くことくらいしかできなかった。
「厭なやつ」
 いつも以上に気持ちを込めて言ってやったら、
「何を今更」
 なんてさらっと返してきた。死ねばいいのに。
      ■

      □
 彼女はいつも本を読んでいた。初めて会ったときもそうだった。金木犀の木の下で、まるで子どもに読み聞かせているかのように音読していた。その姿があまりにも美しくて、有り体に言って、僕は彼女に恋をしたのだ。
 最初は窓から彼女を見ているだけだった。けど、それがずっと続くもどかしさに耐えられなくなって、声を掛けることにした。
「読むの、上手だね」
 彼女はそこで初めて僕に気付いたらしい。なんていうか、目が点になっている。直後、耳まで真っ赤に染めて俯いてしまった。
 その日から、彼女の隣は僕の特等席になった。彼女の隣で朗読を聞くのが、僕の至福となったのである。

 そんな少しおかしな関係が続いたある日のことだった。
 いつもの木の下で、いつものように彼女に声を掛けようとしたときのこと。
「それでね、その人は家族に捨てられて死んでしまうの」
 彼女の手に、本は無い。
「そうだね、酷いお話だと思うよ」
 会話している?誰と。
「うん。ちょっと難しかったかもね」
 彼女の隣、僕の優先席である場所にいる何かと話をしているのだ。
「そうだね、今度はもっと楽しいお話にしようか」
 見えない何かに、僕の居場所が侵略されている。そう思った僕は堪らず、
「誰と話してるの?」
 多分、口にしてはいけない台詞を吐き出していた。
      □

      ■
 おかしな話だけど、あたしには霊感がある。正確には違うらしいんだけど概ねそんなもんだってばあちゃんが言ってた。
 霊感と言っても、ハッキリ見える訳じゃない。あたしが見えるのは色だ。生物の色。個性そのものと例えたって過言じゃないと思う。ま、個性ってもビジュアル的にはブチ壊れたサーモグラフみたいなものだから、見ていて気持ちの良いものではないのだけれど。このサーモグラフってのはちょっとだけ便利で、個性の強い人だったら一度見ただけじゃ忘れないくらいのインパクトを残していってくれる。顔を覚えるのが苦手なあたしにとっては、結構使える代物だったりするのだ。
 あのばあちゃんのこともそうやって覚えた。

 丁度三ヶ月ほど前の夏休みのこと。日頃の鬱憤を晴らそうと参加した野球大会。大会っていっても近所のジャリガキ集めただけのお遊びなんだけどね。
 九回裏二死満塁。二対一と逆転され、窮地に追い込まれたチームの期待を背に受けての打順。バッターボックスに入るなり高らかにホームラン宣言。これ以上無いってくらいに燃える展開だった。相手のピッチャーは勝負に出るしかない。そこにこそ勝機がある。サシなら負けない自信があったし、更に相手はすっかりバテてるという好条件。ぎりぎりの精神力で投げ放たれた白球を、全身全霊の勢いで以て打ち返す。綺麗な弧を描きながら吹っ飛んでいった白球は、公園のフェンスを乗り越えて近くの民家へと侵入していった。
 そこは近所でもお化け屋敷と言われている、ちょっと不気味な洋館だった。チャイムを鳴らしたけど誰も出てこないので、後ろめたい気持ちを引き摺りながらも勝手にお邪魔することにした。
 家の周りを一巡りしたところで、ボールは見つからなかった。とても厭な予感がした。こういう場合、最悪の展開も考えられる。それに輪を掛けてあたしの厭な予感というやつは、大抵当たるのだ。そして、
「このボールはあんたのかい」
 なんて嗄れた老人の声が頭上からしたのなら、あたしだって気を失いそうになるのです。

 これがあたしと自称魔法使いのばあちゃんが初めて会ったときのこと。今では砕き割った窓硝子の弁償代をタダ働きで返済するまでの仲となっている。ちなみに硝子の代金は三十万円とか莫迦みたいな値段だったので、ただ働きでどうにかなるだけラッキーだったと思いたい。
 仕事の内容自体は割と簡単。このばあちゃんは何やら探偵の様なことをやっているらしく、それを手伝う、所謂助手ってやつだ。助手と言うと響きはいいけれど、実際のところはただの使いっ走り。更にそれより質が悪いのが、あたしよりもずっと長いこと助手を勤めているという男だ。名前は岩尾鷹史。年齢は二十代後半で、いつも真っ黒いスーツを着込んだ、猫顔で眼鏡のよく似合う秘書然とした男。これがまた途轍もなく厭なやつなのだ。それも、梅雨のようにべたべたするような陰険な性格ではなく、むしろ件の白球を打ち返したときのように、爽快に開き直っているから余計に厭。
 そんなわけで幾つかの仕事を手伝ってきたわけだけど、今回のは少し毛色が違う。
「これって人捜しじゃない。この依頼主さん頼むとこ間違ってると思う」
 残念ながらというか生憎というか、うちの事務所じゃ人捜しだの浮気調査だのという、普通の探偵業務はやっていない。そういうと探偵なのかどうかも怪しくなってしまうのだけれども。
「仕方ないだろ。ババアが引き受けちまったんだから」
 デスクの鷹史は煙草を吸いながらうきうきウォッチング。まるで関心がない。
「だからってあたしがやるのもお門違い。こういうことならあんたの方が得意でしょうに」
「調べたろうが。ちゃんと資料読め」
「読みました。読んだ上で言ってるんです。それとも、これだけの資料は集めることができるのに、人を捜す事だけはできない便利な体なんですか」
「そういうことにしておいてやる」
 ぎゃはははは、と大笑い。テレビがおもしろいのかあたしが滑稽なのか、判断できない。
「そこにも書いてるように報告するだけでいいんだよ。散歩がてらに町はずれの病院まで行って、帰り際にババアのとこ寄ったらそのまま家に帰る。それでいいじゃないか」
「それだけで一日潰しちゃうでしょ。それがイヤなの」
「言える立場か。それに、一日潰して借金完済に近づくんだからおいしい話じゃないか」
「……まあいいか。あんたと話してても時間の無駄だしね」
 要はさっさと終わらせて早く帰る努力をすればいいだけのお話なのだ。
 今度こそ事務所から出る。去り際に、
「これ、念の為」
 鷹史が二枚の栞を渡してきた。白地に蒼文字のものと、黒地に朱文字のもの。最初からそれを渡してくれた方が容易に事を理解できたっていうのに。普段はきっちりと仕事をこなす鷹史。だけどもちょっぴり効率は悪いのだ。
「ありがと。じゃあまたね、たかし」
「『たかふみ』な。次言ったら殺すから」
      ■

      □
 彼女には女の子が見えているらしい。無論、僕には見えない。初めて金木犀の下に彼女を見つけたときも、その女の子と話していたらしい。それどころか、僕が隣で朗読に耳を傾けるようになってからも、その女の子はずっと彼女にくっついていたのだという。つまり、最初から彼女の隣が僕だけの優先席だったというわけではなかったのだ。
 正直、悔しい。だって彼女は僕ではなく、ずっと女の子のことを見ていたのだから。まるでピエロのような気分。とんだ喜劇。勝手に盛り上がって、勝手に落ち込む、滑稽な愚者。
 それから暫くの間、彼女の姿を見ることはなかった。
 僕は彼女の病室を尋ねることにした。件の金木犀の向かいの四階の個室だった。
 彼女は僕の顔を見ると、頭を下げた。手には分厚い童話集が開かれていた。
「久しぶり。君の声が聞けなくて、少し寂しかった」
 彼女の顔は蒼白い。日の下で見ていた姿よりも、幾段か暗い印象。
「あの子がね、どこかへ行ってしまったの」
 薄い唇が、震えていた。
「折角ともだちになれたと思ったのに」
 女の子なんて、元からいない。けど、彼女にとっては、いないはずの女の子だけが日常の中で唯一の彩だったのだ。それをなくした彼女は、ひびの入った石膏像のように、脆く崩れ落ちてしまいそうだった。だから、提案した。
「僕が聞くよ」
 色を失った彼女に僕ができること。
「だから、聞かせて欲しいんだ。僕に、君のお話を」
 僕が色となって、彼女を救うのだ。
      □

      ■
 事務所からバスで五十分程かけて、町はずれにある市立病院に着いた。
 今日が休日だからなのか、人が多い。不謹慎だけど、とっても繁盛してる。歩くのに邪魔なくらいにね。
 といっても、あたしの用事は病院ではなく、病院の庭にあるので、何の問題もない。人混みには紛れずに、真っ直ぐ庭先へと向かった。
 建物の丁度裏側にまで来ると、一本だけ真っ黒い木が立っていた。触ってみると手も真っ黒に汚れてしまった。これは煤。つまりこの真っ黒な木は、木であって炭でもあるのだ。
 十年前に起こった、金木犀の炎上事件。この木こそが、あたしの捜していた金木犀なのだ。
 ポケットから鷹史に貰った栞の白い方を取り出して、木に貼り付ける。栞には蒼い文字で読めもしない漢字やら象形文字がびっしりと書き込まれている。ばあちゃん特製の霊符。外と内を繋ぐための、小さな通路。
 霊符をなぞるように、上から下へと指を一閃する。途端、蒼い文字は薄ぼんやりと光り出して、写映機のごとく足下に像を写し出した。
 蒼白い、光の塊。存在が希薄すぎて輪郭さえも判らなくなってしまった、小さな女の子の姿。
 続いて黒地の霊符を、女の子に翳す。書き込まれた幾何学は複雑に混じり合い、列を成して文字を形作っていく。そうして出来上がった文章は、学者でないと読めないような文字で、あたしなんかには何語なのかすらも判別できないようなものだ。
「これで完了、と」
 白地の霊符を剥がして、黒地共々ポケットに突っ込む。あとは、ばあちゃんのところにこれを届けたら、晴れて自由の身となるだろう。
 何の気なしに、病院の一室を見た。枯れ木の向かいの四階の部屋。窓から若い男の人が覗き込んでいる。確かに端から見ればこんなに不審なやつはいないだろう。うん、さっさと帰ってラジオでも聞こう。
      ■

      □
 彼女の体は日に日に窶れている。目に見えて容態が悪化したのは、木の下の女の子がいなくなってからだ。彼女は今や、外に出ることさえも許されない状態である。だから、金木犀の木の下で彼女の朗読を聞くことは、もう叶わない。一度に読む量も、随分減った。彼女は疲れて、すぐに眠ってしまうのだ。
 それでも、僕は彼女の部屋に通い続けた。眠っていたっていい。ただ側にいたい。一方的な感情かもしれないけれど、僕はそれで幸せだったし、彼女も寂しさを紛らわすことができただろう。
 ただそれだけでよかったのに。それ以上は望んではならないと、わかっていたのに。

 秋の葉が落ち始めた頃のこと。
 窓の外を眺めながら、彼女は言った。
「もうすぐ冬ね。雪、見れるかな」
「見れるよ。絶対」
「ううん、きっとだめ。ほら、あれを見て」
 指を指した先はあの金木犀の木だった。
「あの木の葉が全部落ちたとき、私は死ぬわ」
 人の生死がたった一枚の葉に左右されるなんてことはあり得ない。けど、彼女はそう信じている。
 昔読んだ童話を思い出した。最後の一葉という話だ。最後の一枚の葉っぱが散れば死んでしまうと思い込んでいる少女が、壁に描かれた絶対に落ちることのない葉っぱに命を救われるというお話。
 この現実があの童話のように、葉っぱの落書き程度でどうにかなったのならば、どれだけ救いがあっただろう。
 目に見えて死へと向かっていく彼女を救う方法はどこにあるのだろうか。
 毎夜、考えた。気が狂ってしまいそうなほどに愛おしく、触れれば消えてしまいそうなほど儚げな彼女を救う方法を。
 そしてある晩、思いついた。
 根源を絶てばいい。最も単純で、最も効果的な方法だ。
 何故僕は気付かなかった?僕は莫迦だ。大莫迦だ。こんなことにも気付かず、彼女の命を浪費させてしまっていたなんて!

 翌朝、いつものように彼女の部屋の前に行くと、扉に面会謝絶の札が掛けられていた。近くを通った看護婦さんに聞いてみると、どうやら昨晩、容態が急変したらしい。
 己を呪った。もっと早くに気付いていれば、こうはならなかったのに。
 扉の向こうの彼女に、告げる。
「もう少し…もう少しだけ待ってて。きっと苦しくなくなるから」
 とうに心は決めた。今夜、助け出すのだ。この冷酷な世界から、彼女を、僕の手で。

 深夜、金木犀の木の下。手にはマッチと童話集。木の根本を見つめながら、言う。
「お前が彼女を連れて行くっていうのなら」
 童話集に火を付けて、木の側に放る。
「僕がお前を殺して、彼女を助ける」
 みるみるうちに金木犀が炎上する。初冬とは思えないほどの熱を振りまきながら、葉や枝が燃え落ちる。広がっていく炎の中に、ぼんやりと影が見えた。
 それは紛れもなく、少女。
 少女はこちらを悲しそうに見ている。泣き腫らしたような真っ赤な目で。
 声が出せなくなる。一体何がしたかったのか、一体何を伝えたかったのか。
 ……ああ、なんだ。この子もただ……
      □

      ■
 さっきの市立病院とは違って、無駄にでかい大学病院の一室にばあちゃんがいる。
 つい先日のこと。虫垂炎、所謂盲腸炎を起こしたばあちゃんはそのまま入院することになった。いっそのこと死んでくれたらとても楽だったのだろうけど、身近な人が死ぬのはやっぱり御免だ。鷹史は別として。
 経営者が倒れたんじゃ暫くは休業かと思いきや、病床でもしっかり契約をとってくるばあちゃんは流石だと思う。今回の依頼はまさしくそれ。詳しい内容は聞かされてないけど、比較的楽なものだったからよしとしよう。
 病室に入ると、ばあちゃんはテレビでどろどろの愛憎ドラマを見ていた。やはり女はこの手の話に弱いらしい。
「ばあちゃん、仕事片付けてきたよ」
「そうかい。ご苦労だったね」
 ポケットから二枚の栞を渡す。
「結局なんだったの?この仕事」
「なに、ちょっとした男女の行き違いさ。このドラマと同じだね」
 ドラマて。こんな展開現実に在るのだろうか。在るならお目に掛かって堪能したものだ。
「じゃあ、あたし帰るから。ああそれと、早く退院してね」
「おや、珍しい。みさきが他人の心配しているよ」
「違う。たかしが目障りなだけなの、本当に。あいつ最近調子に乗りすぎ」
「はいはい。そういうことにしておこうかね」
 デジャヴを感じながら病室を後にする。ふと窓の外を見ると、さっきまでの青空が嘘だったかのように鈍色に支配されていた。もうじき、冬も本番。
「降るかな、これは」
 なんかもう一切合切どうでもよくなった。遊びに行くにも中途半端だし、事務所には絶対戻りたくない。だったらせめてと、この微妙な天気の狭間を愉しみながら帰路につくことにした。
      ■

      ※
 もう十年も前の話になる。知らない人も多いだろうが、この病院でちょっとした火事があった。燃えたのは一本の金木犀。燃やしたのは、僕だ。
 僕も若かった。何故あんな事をしたのかと聞かれれば、わからない、としか答えることが出来ない。しかし、当時の僕が、幾夜頭を悩ませ考え至った方法に間違いは無いのだと思い込んでいた、ということだけは説明できる。勿論そんなもの、今となってはただの言い訳にしか過ぎない。でもそれを含めた上で、当時の僕は正しい方法なんだと信じていた。
 尤も、そんなちっぽけな矜持は、火を付けた直後粉々に砕かれてしまうのだけれど。

 燃え上がるように悲しげな瞳で、少女が告げたかったこと。いや、多分そんなものはないんだと思う。自分が誰かに対して何かをしてやれると思うことは驕りなのだ。あの少女はきっと何かを伝えたかったわけではなくて、もっと純粋に、寂しかっただけなのだ。
 僕もそうだった。見舞いに来てくれる家族は誰もいない、とても寂しかった僕。
 話し相手のいないとても退屈な病院の中で、たった一人で本を読んでいた彼女。
 僕たちの一体何が、あの少女と変わらないと言えるのだろうか。
 寂しかった人間が、それを紛らわす為だけに集まった。ただそれだけだったのに。
 僕は非道いことをしたものだ。
 あの少女を、金木犀を燃やしたのだから。
 すぐに後悔した。償えるものならば償いたかった。しかし、そんなものは叶わない。叶う筈もないのだ。少女は存在しないのだから、贖うことは不可能なのだ。
 その次の日も、彼女の病室に行った。面会謝絶の札の前で、膝をついて、無様に泣きながら、謝った。喉が切れて血を吐いても、僕は謝り続けた。
 次の日も。その次の日も。そして、ある日、面会謝絶の札は外されていた。
 扉を開けて中に入る。そこには、誰もいなかった。
 綺麗に整えられた真っ白なベッド。窓から見える、真っ黒に焼け焦げた木。
 ああ、きっとこれは罰なんだ。金木犀を焼き払った僕の背負った罪に見合った罰として、彼女はいなくなってしまったのだ。僕が、彼女を殺したも同然なのだ。
 僕は莫迦だ。大莫迦だ。もっと、もっと早くに気付いていれば。
 繰り返し出てくるのは己を呪う言葉。自分で自分を殺す、刃物のような言葉。
 風が吹いた。
 冷たい風が目に染みる。寒い。いっそのこと死ねたならどれほど楽なのか。
 揺れるカーテンの隙間から、ひとひらの、葉が舞った。
 目の前に、かさ、と落ちた葉を拾い上げる。
 これはきっと戒め。僕はこの葉を目に留める度に罪を思い出すのだ。
 いいだろう。背負ってみせる。贖うことができないなら。嘆くことさえ許されないのなら。
 僕は苦しみながら生きて、苦しみながら死のう。それが僕にできるたった一つの――

 扉を叩く音で、僕は現実に引き戻された。少しして、全身真っ黒の男が入ってきた。
「なんだ、いるじゃねーの」
 僕の数少ない友人の一人が、見舞いに来てくれた。
「ごめん。ぼうっとしてた」
 笑って見せるけど、腹部の痛みに顔が引きつる。
「無理すんな。それとこれ、土産」
 そう言うと鷹史はフルーツの盛り合わせが入ったバスケットを寄越してきた。
「ありがとう。でも僕」
「知ってるよ。腐らせんのも勿体ないから全部サンプルだ」
 それって一歩間違えたら嫌がらせじゃないか。
「それと、こないだの話なんだが。まあ、こっちが本題だわな」
「本当に引き受けてくれたんだ」
「いや、それはできないな。そもそもお前の依頼にはなんの意味もない」
 鷹史はいつも以上に厳しい言葉で僕を糾弾した。こっちは半死人なんだから手加減くらいしてくれないものだろうか。
「いいか。あの木の事を調べたってな、なにも出てきやしねぇんだよ。お前のつまらない償いなんて、最初から何の意味もなかったんだ」
 今のは、今のだけは聞き流せない。
「鷹史。君に何がわかるというんだ。僕は二人も殺している。この意味を、二人分の命の意味を、否定させるわけにはいかない」
「だから。お前は誰も殺してないんだよ」
 言いながら鷹史は窓を開けた。冬の枯れ木の臭いがした。
「お前が十年間引き摺ってきたのは、妄想だよ。そろそろ現実を見ようぜ」
 鷹史の落とした視線の先。ああ、見間違える筈がない。
「なん、で」
「たかが一枚の葉っぱで、人の運命を決められると思うなよ。それこそ驕りじゃねえか」
「じゃあ、僕は」
「こっからは手前で考えな。俺は帰って寝る」
 ああ、見間違える筈がない。
 どれほどの時間が流れたって。どれほどに姿が変わったって。
 その心のあり方は、変わることはないのだから。
 震える喉で紡いだ声が、明瞭に響いた。
「ねぇ、聞かせて欲しいんだ。僕に、君のお話を」

 町には、例年より少し遅い初雪が降り出していた。




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